2013年06月18日

奇跡のような出会いに感謝して

 日本一心を揺るがす新聞の社説2より抜粋してお届けします☆


 目が覚めたら生きていた。朝起きたらもうご飯ができていた。窓を開けたら美味しい空気があった。毎日ご飯が食べられる。買い物に行ったら欲しいものが買えた。美味しいものを食べて美味しいと感じる。結婚して子どもが生まれた。子どもがすくすく育っている。…

 「こんなこと、当たり前だと思ったら大間違いです。世の中に当たり前のことはたった一つしかないんです。それは、産まれてきたすべての命には必ず終わりがあるということ。それだけが当たり前のことで、それ以外のことはすべて奇跡なんですよ」
 助産師の内田美智子さんがこう話していた。

 内田さんはこの年末から年始にかけて、連日新しい生命を取り上げた。その中には15歳の少女もいた。

 分娩室で彼女は「痛い、痛い!」と泣き叫びながら、やっとのことで3000gを超える大きな赤ちゃんを産んだ。
 妊娠に至った経緯には言うに言えない事情があった。しかし、産まれたばかりの赤ちゃんを抱きながら、少女は「ママよ、私がママよ」と何度も語りかけていたそうだ。

 しばらくして、ずっと寄り添っていた、30代後半だろうか、40代前半だろうか、若くして祖母になったばかりの母親に向かって言った。「ママ、ありがとう」

 同じ頃、国会議員の野田聖子さんが不妊治療の末、男の子を出産した。
 「50歳だろうが15歳だろうが、中学生だろうが、国会議員だろうが、生まれてきた子は乳飲み子。手がかかるのは同じ。周囲のサポートは同じように必要です」と内田さんは言う。

 30年以上もお産の現場にいる。そこは「おめでた」ばかりではなかった。死産もある。ある妊婦は10ヶ月目に入って胎動がしなくなったことに気が付いた。診察の結果、胎児は亡くなっていた。でも、産まなければならない。

 普通、お産のとき、「頑張って。もうすぐ元気な赤ちゃんに会えるからね」と、妊婦を励ますが、死産のときには掛ける言葉がないという。泣かない子の代わりに母親の泣き声が分娩室に響き渡る。

 その母親は内田さんに「一晩だけこの子を抱いて寝たい」と言った。真夜中、看護師が病室を見回ると、母親はベッドに座って子どもを抱いていた。
 「大丈夫ですか?」と声を掛けた看護師に、母親は「今、お乳をあげていたんですよ」と言った。見ると、母親は乳首から滲み出てくる乳を指に付けて、子どもの口元に移していた。

 「このおっぱいをどんなにかこの子に飲ませたかったことか。泣かない子でも、その子の母親でありたいと思うのが母親なんです。何千年の時を経ても母親は母親であり続けるんです」と内田さん。

 妊娠が分かってから女性は約10ヶ月の月日を経ながら、少しずつ「母親になる」という決意をしていく。それは自分の命を賭けて産むという決意だ。

 父親・母親世代に内田さんは、「子育ては時間が取られるなんて思わないで。育てられるだけでも幸せなことなのよ」と語り、学校に呼ばれたときには、「お母さんは命賭けであなたたちを産んだの。だからいじめないで。死なないで」と子どもたちに訴える。
 「命が大切なんじゃない。あなたが大切なの」と。


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Posted by 沖縄市ゆいどころ☆きらり☆ at 10:50│Comments(0)ゆいどころきらりまでの軌跡
 
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